W.A.Mozart:Flute Quartet (2010.2.12)

Ⅰ.Flute Quartet No. 1 in D major, K. 285 :

フルート・カルテット 第1番 ニ長調 K.285

 

 

Ⅱ.Flute Quartet No. 4 in A major, K. 298 :

フルート・カルテット 第4番 イ長調 K.298


 

 

演奏者:

Flute:田呈媛

Violin:中野 千瑛

Viola: 岡田 真理子

Violoncello:江口 陽子

 

2010年2月12日 京都市立芸術大学講堂

 

 

 

「嫌い嫌いは好きのうち?」

  ~アマデウスの笛(フルート)をめぐって~

昔から「モーツァルトはフルートが嫌いだった」ということはよく言われています。これは、モーツァルトが手紙の中で「あの楽器(=フルート)のために作曲するのは我慢ならない」と記しているためです。しかしそれは本当でしょうか。
W.A.モーツァルトは、フルートのためにコンチェルトKV314 .KV313. KV299を3曲、ハ長調アンダンテを1曲、フルートと弦楽器のためカルテットを4曲残しています。これらのうちほとんどは、天才モーツァルトにとって人生の中で社会的、経済的には必ずしもうまくいかなかったマンハイム滞在中に書かれたようです。彼は何を思いながら「我慢ならない楽器」のために書いたのでしょう。彼にとってフルートという楽器はどんな存在でしょうか。もしかすると、彼にとってフルートの音色は自分の本音を描きやすいものだったのではないでしょうか。
2009年6月の朝日新聞に、独チュービンゲン大のチームが独南西部ウルム近郊のホーレ・フェルス洞窟で3万5000年前のフルートの破片を発見したという記事が掲載されました。古代フルートの歴史上、また原始人類史上のビックニュースでした。因みに、古アジア文化にとって笛は龍の化身で、龍は天界と地上を回すことが出来るため、死者と生者の魂をお互いに通じ合うようにします。そして、古ヨーロッパ文化にとってフルートも人間の楽器と思われず、魔力がある不思議な楽器であります。18世紀のフルートは現代にくらべキーが少なく、ピッチが不安定であり(そのことがモーツァルトは気に入らなかったのだと言われています)、息が直接音に変る楽器で、嘆きのような弱い音色、繊細な敏感さをもっています。

このことを踏まえると、フルートはモーツァルトにとって特別の存在であったと予想できます。人間は時に人前で自分を演じてみせることがあります。父親のつくった環境から逃げ出そうとした彼は、フルートという楽器を借りて、彼の本音を表現したかったのでしょう。《魔笛》の中で、フルートは御守のような存在でした。しかも、人の良心を生き返らせる力を持つ楽器でした。不安定なピッチに対する彼の不満は、ある意味で彼にとって現実から逃げ出そうとしても無力の自分への怒りではないでしょうか。
フルートために書かれた作品はすべて長調ですが、このカルテットからモーツァルトはにぎやかな盛りから幕裏に隠れる自分を出そうと思っているように、一瞬だけ短調に転調し、そこには彼の孤独が見え隠れします。まるで、舞台上のピエロのように、仮面をかぶり、無休無尽に踊り、興奮な人混み、酒と香水、繁華と贅沢、終わらないような夜幕、隠れた自分だけの世界を作っています。「ただ貴方は気がついてなかった、しかも捕まえてなかったその一瞬だけ、彼は本当に居た、あそこで・・・。」と私は思いを馳せます。

特に今日取り上げた作品の中にD-Dur第二楽章にご注目していただくと、モーツァルトの本音を覗くことができるでしょう。「フルート嫌い」説は本当かどうか、答えは明快です。お聴き頂いたとおり、もし本当にモーツァルトがフルートを嫌いなら、きっとこんなすばらしい作品は書かれないでしょう・・・。(田呈媛)

 

 

2010年11月24日(水) 田呈媛修士演奏 リサイタル

中村典子:寂 Bach—-雨・秋・鈴

 

尾高 尚忠:フルート協奏曲 作品30b

Hisatada OtakaConcerto for Flute and Orchestra op.30b

 

Ⅰ:Allegro con spirito

Ⅱ:Lento

Ⅲ:Molto vivace

 

ゼルゲイ・プロコフィエフ : ソナタ ニ長調 作品94

Sergei Prokofiev Sonata in D-major, Op.94

 

Ⅰ:Andantino

Ⅱ:Scherzo Allegretto scherzando

Ⅲ:Andante

Ⅳ:Allegro con brio

 

 

 

フルート:田 呈媛 ピアノ:河合 珠江

2010年11月24日

 

 

 

 

中村典子:寂Bach

雨・秋・鈴

バッハによってヨーロッパ圏の様々な舞曲の記憶は人の世の続く限り消えることはないだろう。バッハは言語によって書式が異なることを教え、中国からの留学生、田呈媛さんと共に学舍で過ごすことを許してくれた。今バッハに感謝し私の身体のみに刻まれたアジア圏の芸能の記憶をささやかな舞譜として記す。寂は、宋朝の詩人柳永による代表作「雨霖鈴」の数節をもとに、雨、秋、鈴の名の下に続けて奏される小三章よりなる、秋の悲しみの景である。(作曲者)

「寒蝉凄切,对长亭晚。骤雨初歇,都门帐饮无绪,方留恋处,兰舟催发。执手相看泪眼,竟无语凝噎。念去去,千里烟波,暮霭沉沉楚天阔。

多情自古伤离别,更那堪,冷落清秋节。今宵酒醒何处?杨柳岸,晓风残月。此去经年,应是良辰好景虚设。便纵有千种风情,待与何人说!」(雨霖铃   柳永)

柳永は宋朝の詩人である。『雨霖铃』は彼の代表作である。作品の全体は恋人の離れ離れを描いている。中に一番有名なのは「多情自古伤离别,更那堪,冷落清秋节。」だが、意味と言えば、昔から一番辛いのは離れ離れこと、特に、こんな秋の季節で、もっと耐えられないこの寂しさ。

気分的にこの季節をふさわしい寂しさを描く。曲全体は三部分に組合して、「雨」の部分はGの一つ音だけで書かれた。「秋」は人の溜め息みたいに、心を縮ませる音程の微妙な変化で秋の冷たい、落葉の動きを想像させる。「鈴」はトリオを中心の手法に、風にだんだん急激響かせる音を表現する。(田呈媛)

 

尾高 尚忠(19111951):フルート協奏曲 作品30b

尾高尚忠は日本の交響楽の発展が始まる時代に活躍した作曲家兼指揮者である。

「フルート協奏曲作品30b」は彼の最後の作品である。1948年に当時フルート奏者として活躍していた森正の依頼を受けて作曲を開始し、伴奏は小編成のオーケストラバージョンだった。2ヶ月かかって完成し、同年初演された。彼はのちに大編成オーケストラバージョンにしようと思い、1950終わり頃から作業に取り掛かった。しかし、多忙な指揮活動、健康悪化のため、思うように作業ははかどらず、1951216日、他界。最終ページの数小節のオーケストレーションは未完に終わった。その後、弟子にあたる林光が完成し、作曲者の追悼演奏会で初演された。

今日は演奏されるフルートとピアノバージョンは、彼の長男(尾高忠明の兄)である尾高惇忠による作られたものである。

華やかな明るい音から始まるフルートの音色を生かせる第一楽章と、まるでシルクロードの旅への足跡を想像するような第二楽章、童謡の「春が来た」を思わせるメロディーと変拍子で再現する第三楽章。活き活きと、春を望む気分に乗って書かれたかのような作品である。

 

 

 

プロコフィエフ(18911953) :フルート ソナタ ニ長調 作品94

セルゲイ・プロコフィエフ(18911953)はロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者である。

この「フルートソナタニ長調作品94」は、独ソ戦のため、彼がモスクワを離れて疎開していた時期の作品。1942年から作曲し始め、1943年完成され、同年初演された。フルートソナタの初演を聴いたヴァイオリン奏者のダヴィッド・オイストラフはこの曲をヴァイオリンバージョンに改作することを作曲者に依頼。ヴァイオリンバージョンは1944年初演され、原曲以上にヴァイオリンソナタが好評を博し、演奏の機会恵まれることになった。

フルートの作品としてあまり注目されなかった原因は、フルートとピアノの音量的バランスに無理があったためであろう。フルートは低音を強く出さないと、ピアノに埋もれてしまうからだ。また低音域から高音域への跳躍が頻繁に書かれており、フルートのためによりは、ヴァイオリンのために書かれた曲として誤解されやすいところがあるかもしれない。

 

 

 

~世界の音楽~

 すでに秋、紅葉の色がだんだん濃くなり、雨に恵まれて、落ち葉も地面に秋の模様を描いています。

20069月、初めて日本にやってきて、見慣れないこの小さな学校が、今は、落ちつかせてくれる空気と雰囲気、時間の流れをまったく感じないままに四年が過ぎました。

話が変わりますが、先日ふと気がつきました。今日のリサイタルは、プログラムに取り上げた曲から、演奏者自身まで、すべて20世紀と深い関連があるものです。私は日本にフルートの勉強をしにきました。一応西洋楽器と言われるものなのに?

けれど、現在の音楽形勢と言ったら、フルートはもうただの西洋楽器ではないと思います。

西洋音楽は19世紀後半から全世界に広がり100年の間で、想像できないスピードをもって世界のものとなりました。改良を必要とした楽器が、統一された世界基準の442Hzのピッチの完成した楽器となり、世界中で共通の音符を楽しめるようになりました。五線譜に書かれた音符を生き返らせ、新生させるのがすべての音楽家のなすべきことではないでしょうか。同じく20世紀前半に生きていた、尾高とプロコフィエフ、21世紀を生きる中村先生は、無意識に「西洋」というものを「世界化」したと言えるでしょう。

たとえ国、人種、母語までまったく違っても、十二の音があれば、言いたいことが全部言えるのです。音楽は、確かに言葉を超えた言語です。多少使い方がちょっとずれても、きっとどこかでつながる場所は見つかります。

私はこの場を借りて、世界の言葉――音楽でみなさんとコミュニケーションを取れることにワクワクしています。わずか一瞬でも、皆さんと共鳴する場を持てたら幸いです。

私は決して西洋の楽器を勉強するため留学したのではなく、きっと、この世界的な言葉を進化させるために、京都芸大に学んだのだと思います。私の音楽のグランドツアーはこれから始まります。

もうすぐ秋が終わり、冬が来る、冬が来たら、春はもう遠くないでしょう。時間は円形のように終わりがなく回り、みんなさんとの出会いを心から感謝しております。いつも傍に居て支えてくれた先生、友達、知人たちに、今日の音楽をお礼として演奏させていただきたいと思います。

 

田呈媛

 20101124日朝


 

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